llichika627’s diary

20歳です。主に大学生活の不安や、日々思うことを書き連ねていきます。良かったことも書くと思います。

「いつも」と「毎日」の儚さ

 

 

なんという悲しさでしょうか…

 

私が小さいころからフリーアナウンサーとして活躍されていた小林麻央さんが遠い所へ旅立たれてしまったというニュースは、非常に悲しく衝撃的な話でした。

 

彼女の境遇は途中まで非常に華々しく感じられました。見事で、私たち一般人にとってはうらやましい限りであったスペックを持っていた一方で、歌舞伎役者の妻として、夫の不祥事が起きたらマスコミに対応しなければならない、常に「見られている」存在であり、非常に険しい道を歩んでいたようにも見えました。

 

私などが想像を働かせるなど、本当に無粋なことであるし、同情したり、「かわいそう」を連呼したりするのも筋違いにも甚だしいです。

私がただひたすらに感じたことは「生きることの虚しさ」です。

虚しさともいうのでしょうか、ここまで闘病中にも注目されていてとても身近に感じていて、それでいて、どこかで「まだ若いから大丈夫」だなんて私たち遠い人間は考えていました。が、がんという病気がこんなにも一瞬にこんな若くて美しくて素敵な命を奪ってしまうのか、と、なぜ彼女がなくならなければいけなかったのかと。

「仕方がない」と言ったらそれまでだし、どうしようもないことであった、と言われればそれまでなのかもしれません。

 

最近読んだ本で「マチネの終わりに」という本があります。

ジャーナリストであるヒロインが、テロによって身近な人々が命を奪われることに「なぜ自分が生き残ってしまったのか」と自問自答するシーンがあります。また、「自分の生きる意味」を深く問いかけるシーンが多数あります。私はその部分を読みながら彼女に感情移入ができない気持ちでありました。そのような経験がないからですし、「フィクション」であると高をくくっていました。なにより、「生の儚さ」を感じる瞬間が幸いにも私には少なかったです。

 

しかし、今回のことを受けて、少しわかった気がしました。

あんなに素晴らしい女性が34年しか生きられないなんてこと…

そう考えるたびに、「運命」だなんていう嘘くさい二文字が頭をよぎってしまいますね、そんなもの壊してしまいたいですしね。

 

「いつも」「毎日」が今の私たちの生活では保障されているように感じられます。

「毎日学校に」

「いつもの友達とご飯をたべる」

「毎日お母さんに怒られる」

いくらだってあります。しかし、その日常性が突然失われることがあるかもしれない。実はその「毎日」「いつも」という言葉には「絶対」という裏打ちがなされていないのです。不思議です。私たちの考える「毎日」や「いつも」は絶対的ではないのです。

そのことに気づけている人が世の中に何人いるのでしょうか。

 

「今」を大切に。

という言葉の重みが痛く私の心を揺さぶります。

一瞬だって後悔したくないし、いつだって大切な人には感謝を忘れたくないと思いました。「毎日」が失われた日のことを考えるだけで涙があふれてきます。

 

逆に今苦しい人たちも世の中にたくさんいます。

私もよく自分で自分の首を絞めて苦しくなることがたくさんあります。長く続くこともよくあります。そのときに

「毎日が苦しい」

「いつまでもこんな日が続くのか」

なんて思ってしまいますが、

苦しい日々が「いつまでも」続くという絶対性もまたないのです。悲観的な人(特に私)なんかが陥りやすいただの幻想です。

 

 

ヒトの人生に「毎日」も「いつも」もありません。

そこがおもしろくもあり、悲しく苦しいところでもあります。

 

人の悲しみに触れると伝染します。それにより、さらにより大きな悲しみを呼び起こすことになってしまいますが、自分は自分なりに「今」を生きていきたいと強く感じました。

彼女のことは一生忘れません。

私たち遠い大衆は、卑俗な一部のマスコミに惑わされることなく、自分の意志で考えていくことで十分の供養となるでしょう。

自分の人生を生きましょう。

 

 

 

 

 

おわり。

 

備忘録

 

 

とても久しぶりな更新です。

誰も見ていないのですが、きっと私が今後見返したい時にその時分に語り掛ける感じで行こうかな、という感じです。未来の私、元気でやってますか?(くさい

 

あんまりにも言いたいことがあるけど言えないし、

悩みを人にいうにもなれないので一方的に発信する、という機能を存分に使っていきたいと思います。

 

 

最近言いたいこと~~~~~~~~~~!!!!!!!!

 

①就活の準備するの早すぎじゃね?の件

いや、みんなはええよ。と言っている私が一番焦って毎週就活のセミナーなんて入れちゃってて、ほんと笑えない。

なんですかね~~~みんな同じようなスーツを着ないといけない文化も謎だし、ぶっちゃけそれ、あんまり会社は見ていないのでは?とつくづく思います。

この前に行ったOBOG座談会、みたいなやつ、よく見ていなくて行ったら上位校の総合職を希望する女子対象で詰んだ。全員早稲田慶応東大駒沢千葉大理科大というそうそうたるつよおおおいメンツ…へらへら私は笑う係ヒェア………

学歴コンプレックスとか、あんまり私はないほうだったんですがあんまりにもみんな強くてバリキャリで強くなる!金稼ぐ!私を馬鹿にしているやつらを見返す!とかいう思想をつぶされた感がすごいです。前のめり過ぎて無理…

働くなら大手!と思っていますが、とても今の感じじゃ勝てそうになくて、今から考えて具合悪くなった、ていうか本当にここ1か月くらいずっと体調が悪いです。

 

②最近いいことない件

一日一日の小さな幸せを大事にしている私ですが、いよいよ生理前とか関係なく気持ちが沈み、生理前とか関係なく体調も悪くなり…という感じで、〇〇が終わったら良いことあるんだ!と言い聞かせながら5月が過ぎ、6月もそろそろ半分ですが、いつ良いことあるんですかね?そろそろ限界だ…

良いことって待ってるだけじゃこなくて、自分から行動を起こさないと起こらないよ!と、言われそうだし、実際そうなんですが行動を起こす気をそぐレベルで最近ガチで忙殺されており、やっとまた落ち着いてきてほっとしているのですが、ここからはレポートと発表とインターンのESが待ってるわけで…良いことが待ってるより前に様々な課題が山積みでとてもじゃないけどこのままあとちょうど2週間後にやってくる誕生日さえも誰にも祝われず最悪の形で迎えるビジョンしかなく、しっかり落ち込んでいるわけです、助けてください…

 

③考えすぎて未来見えない件

バイトの社員に心配されるレベルで考えすぎて、これから本当の就活がやってきたときに先が思いやられるよ、とのこと…私もそれは思います。考えてもどうしようもないことが堂々巡りして、飛躍してああもうだめだ~となるループを久しぶりにやっています。

最近目に見えてみんな幸せそうな一方で私はもろもろのことで忙殺されているわけです。休日もろくになく、という感じで、一人でいる時間を大切にしたい私にとっては非常に苦痛です。みんなでわいわいしてていいなということもそうですが、何より写真を撮るなどして満たされていた私が何もできないで家でただひたすらかえってきたらぼーっとするしかない日々を送っているのが辛いです。一人でもいいので何か自由に色々したいという気持ちです。

あと最近みんな彼氏いないことで悩みすぎじゃない?私はもうそんなことを気にする時代はとうに過ぎたし、今を一生懸命生きようと思っていたけど、みんなの悩みを聞いたせいで私は疲れたよ。だんだん未来が見えなくなってきたよ。25歳より先のことを考えると死にたいとしか思えない。そこまでに誰かいい人を捕まえられる気もしないし、このまま余裕で処女ずっと?魔法使いになれる気がしてきた、という最近は彼氏というメンタル面での支えよりも自分がいまだにそういう経験がないことへの焦りと誰もいよいよもらってくれなくなるのではないかという不安で死にたいということです。

どうする?なんか、逆ソープでも行くか?とたまに血迷ったことも考えます。

こういうことがすべてではないとは言いつつも、みなやることやってるわけだし、みんなよりブスな私はどうすればいいんだろう、と最近よく考えて、老後どうやって一人でやっていくか、過労で寿命を無理やり縮めたほうが幸せなのではないかと考えたりします。

 

④友達と全然そりが合わない件

今めちゃくちゃ授業を一緒に受けている人がいるのですが、ことごとく最近意見が合わないし、話してて不快になることがすごい多くて授業も一緒に受けたくないのですが、これから一年間毎週一回はサシで会わなきゃいけなくてとても辛いです。

去年はたまに会うぐらいだったし、大人数だったので、クッションがあったのですが、緩衝材ナシでサシだと価値観とか、考え方とか、全部にあまりに大きなズレがある上に向こうが非常に思想が強く、何かと私のことを攻撃してくるので話していてとても気持ちよく話せません。嫌いではないのですが、これがまさに生理的に無理な人間であったとしかいいようがないです。

向こうも私のことがあまり好きじゃないし、かわいい人が好きだから私がかわいくなくて申し訳ないな、という気持ちもあります。なのに、「かわいい」とことあるごとに褒めてくれるのですが、それが非常に嘘くさくてすごい鼻につきます。「え、かわいい、それめっちゃいいね」とか凄い気づいてくれてるのですが、私はそれがコミュニケーションをするにあたっての社交辞令であることが見え見えで、そういう見え透いた思ってもいないこと、「かわいい」と連呼すること、というのがかなり不快に感じます。私はかわいいと思ったものにしか言わないし、それは言葉を尽くしてほめます。あと、かわいいと思っていないならそれなりにその人のいい人を言葉を尽くしてほめます。「かわいい」と連呼するだけでいいと思っているような感じでとても無理です、軽々しくかわいいを称賛の言葉として連呼するのは非常にナンセンスだと思います。ていうか「かわいい」って連呼してる自分に酔っているパターンで、人のこと褒められる私とても気が利くでしょ、というアピールとしか思えなくて非常に嫌です。

あと、これは私の端的な美的センスの問題ですが、全然服がかわいくなくびっくりします。服買ってきたの!と言われてきて来た服を指さされたのですが私的に絶妙にださく非常に反応に困りました。なんでそれやねん、なんでその組み合わせした、みたいなものが多く、一点一点がすごい良いのに全然組み合わせが最悪で、ある意味才能だと思います。

さらに、決定的なのが倫理観だとかモラルだとかが全然合わない。私は面白くなるなら時には倫理観を超えた発言をしてもいいと思うのですが、そういうことをするとすぐ引いて「性格悪いね」「怖い」を連呼してくるので、お前よくそんなこと人に面と向かってガチトーンで言えるな、とその人の言葉の暴力性を棚に上げた非難を心から皮肉りながらいつも称賛しています。自分はちゃんとモラルがあっていい人なの!ちゃんとしなきゃだし、ちゃんと私はしてるの!みたいな自分の中のきついルールを人に押し付けて話してくるのでたまにいらいらします。たまにっていうか、よくいらいらします。

 

言ってしまえばいつも一緒にいる人への不満をぬけぬけとブログに書いてしまう私の神経が一番どうかしてるのかもしれません。

でもこうでもしないと精神が保ちません。

早く幸せになれますように。

最近読んだもの①

 

 

とても久しぶりな投稿。

大事な請求書とかそこら辺に捨て置いていて、今とてつもなく焦って必死に探していました、皆さんはいかがお過ごしなのでしょうか。

 

最近はこれといって大して大きな変化がない日々を過ごしていました。変化がないわけではないんだけど、誰かに会うことも少なくて、つまりは「刺激的」ではなかったわけで。

まあバイトには行っているんだけども。

誰かと飲みに行ってとても有意義な話ができた。と思うこともあったんだけど、言語化しようとするとなんかしょぼくなるような気がしたり、うまく表現できなくて、文字に起こすのがおっくうになったりしていました。

 

 

今日は連勤も終わり、四月に向けて最後の割とまったりとした四日間が過ごせるから、四月に向けていろいろ予定を立てたり、目標とか、立てたりとかして、行く先見えそうだと思うと、俄然何かに急き立てられているような感じがして。

その勢いで、二月の真ん中ぐらいから頑張ってたくさん本を読もうと思って、読んだ本の感想を忘れないうちに書いてしまおうという魂胆です。

 

本当は何回も感想を書き起こそうと思ってたんだけど、おっくうでした。

一方でタイトルも忘れているものさえあって、私は本当に読んだ本を秒で忘れてしまうので、書いてしまおうと思います。

 

 

「グロテスク」    桐野夏生

これは上下巻に渡る長めのもので、全部合わせて文庫で800ページくらいかな。私は読むのが遅いので、1週間強、普通にかかりました。

この本の大半は主人公の女性の、妹であるユリ子(絶世の美女)が殺されたことで明かされる主人公のユリ子に対する心の中の憎しみや、周囲の人間の思いが語られています。

この本を読むと、私の奥底に隠してある、文中で言ういわゆる、「悪意」がふつふつと湧き上がってくる感覚があります。特に主人公の女性の心中語や発言(めちゃ性格悪い)、彼女の目線で語られる登場人物の様子を読んでいくと本当にそうなるんです。簡単に言えば、本当に胸糞が悪くなるんですが、かっぱえびせんのようにやめられない止まらないというか、とても内容に惹きつけられます。それぐらい、女性なら誰しもが抱く劣等感やコンプレックスを露わにしています。どんなに隠していてもこの本を読むと自分にもこんな一面があるのではないかと、とても感じ入るところがあると思います。

構成は、主人公である女性の視点で語られながらも間に登場人物の手記や陳述が挟まります。その内容1つ1つを読んでいくと、まさに気持ち悪さが増していきます。

これは女性の中の愛憎劇っつーか、ただドロドロした内容が書きたかっただけではないような気がします。その中に存在する絶対的な存在、というものが非常に際立って描かれています。世の中に絶対なんてないと思うけど、なんなんでしょう。その部分は解説とかを私自身読んでいないので曖昧です。とりあえず文章の表現や構成が非常に緻密で、この桐野夏生さん自体ミステリーをよく書いている(読んだことはない)人だと知り、とても納得がいく、非常に「合理的」な文章だと感じました。

私は理にかなったものがある種とても好きなので、読んでいて、ここがこうなるとここがこうなって…みたいな、カチカチとはまっていく感じがあってとても刺激的な文章でした。

読むとすごい生気が吸い取られます。

 

この本、とても面白かったので長く書いてしまいました、長いですが読みやすいと思います。

 

 

「乳と卵」   川上未映子

物語を語る視点主は、私という女性なのですが、物語の中心となっているのは私の姉と、その娘です。つまり、姉とその娘の2人の様子を私がオブザーバーとして記述している、という不思議な構成です。

この構成が凄くないですか?

私という存在は物語にほとんど干渉してきません。もちろん会話してるし、色々自分の観点で様子を語ってるけど、私の情報は何もありません、ていうか読んでて記憶にほとんどありません、何これ不思議すぎません?

しかも、この文中の間に姉の娘である緑子の手記が挟まります。その手記の内容も、最初からすると突飛だし(精子卵子の話)、しかも関西弁で独特な文字感というか、とりあえず小学生の手記ってことで、変なとこで平仮名が入ってたり、文章としておかしかったり、すごい読みにくいです。最初割とすっと入ってこなくて大変でした。

ていうか文章自体もあまり改行がされてなくて、文字ずらって感じで、グロテスクから一転して、とても文章が独特な感じがしました。多分川上さんの文章表現の技だと思うのですが、え、いらんくない?みたいな普通な描写がズラズラと書いてあります。しかもそれが風景の様子、とかではないんですね。その、それが異様にリアルというか。普段私達、風景ジロジロ見なくないですか?

あ、信号、あ、渡る、あ、人人、なんかあの人変な色、とか。暇な時とか、異様に一点を見つめちゃったりとかしません?

その淡々とした感じが文章によく表れてるんです。なんか、必要ない描写が多いように感じるんですけど、それが異様に生活のリアルさがあって。日常感があるんですけど、その中に非日常な感じもあったりして。ってな感じがいいですね。ウン。

内容自体は割と平坦な部分が多く続きます。最後にグッと持ってくる感じがあります。私はこの本の最後の描写に思わず泣いてしまいました。この人の文章、急に凄い胸をかきむしられるような熱いところがあって、そこを読むと、ガーーーッてなって、涙がグーーーッと出てくる、キラキラとも違う、なんだか、生きてるって感じがするんです。特に最後に姉と、その娘の喧嘩シーンは、リアルさと文章でしか表せないファンタジーな部分が入り混じって、とても良かったんです。

 

 

 

 

 

とりあえず第一弾の感想でした。

 

 

 

 

おわり

 

久、落

 

 

1ヶ月も空いてしまった。

理由は本当に書くことさえもなく毎日バイトしかしてなかったからです。

 

割とテスト終わってからもサークルの色々があったせいで、何も進められなかったの。

 

 

 

 

 

 

サークルの合宿、は、割と楽しかった、なぜなら人とそんな話さなかったから、同じ人とばかり話をしていた、いつもいる人とばかり

 

 

 

昨日今日と会ったサークルの演奏会、簡単にいうと地獄のようだった。

知らない人、仲良くない人と長時間一緒にいなきゃいけない。友達もいない。

 

 

特にサークルの男の人たちが苦手だ。

理由もなく、馬鹿にされ蔑まれ、それを笑って流さなきゃいけない。

私のこと嫌いなの?なんでそんな人に聞こえるように陰口言うんだろう。ブスってだけで。そんなにブスかなぁ、でもまぁそうか。

頑張って着飾ろうとしても、その洋服を馬鹿にされる。何を着ても馬鹿にされる。裸で歩けってこと?男の人たちの一挙一動にビクビクしてしまう、向こうがなんのつもりもなく発した言葉が棘のように感じる。言葉の暴力を常に受ける。

 

仲良くしようとしても跳ね返す、恩を仇で返されている気分。結局私がいけないのかな。どう接すればいいんだろう。

結局顔が可愛くないから、普通にしてたって見向きもされないんだって思いが根底にあるんだと思う。そうやっておかしくおかしく生きていった結果、コミュニケーションが取れなくなってしまった。

 

 

 

 

男の人が苦手なのかもしれない。

どんなにひっくり返ったって私に男友達は一生出来ないと思う。あの人たちはいつもそうだ。仲良くしたと思っても手の平を返すように簡単に裏切るし、私を馬鹿にし蔑むんだ。

私も嫌いだ、吐き気がする。

 

私と言う人間が男性に向ける誠意というのもまたないのだと思う。女性への誠意は常にあるし、特定の女友達にはいつだって本音で話せる。男性はオトコでしかない。男性としてではなく、人間として、誠意を持って接することができない。常に性差を感じる。

オトコはいつも見た目だ。

99%のオトコはいつだって顔が可愛くなければ仲良くならない。こちらが話しかけなければ私のようなオンナなど、オンナではないのであって、常に性格などは二の次。

オンナもそうだけども、オトコの方がより優劣をつけたがるし、より、この本能というべき性質に忠実なんだと思う。

 

 

 

 

そして、これもまた偏見なのである。

自分のことをブスとしか見れない虚しくてつまらないオンナの独り言であって、ただのヒエラルキーのトップにいる人物への僻みなのだ。

やっぱり何かといっても恋人は欲しいし、いつだって寂しさを共有してくれたり、癒してくれる存在として恋人という名目はうってつけなのだ。恋人がいることの多幸感を味わいたいと人よりも強く思ってるのは、きっとその蜜の味を知らないからなんだ。ありもしない桃源郷に恋い焦がれてしまっている気分だよなぁ。

 

世界は顔がすべてなわけじゃないし、もっと大事なことを勉強しなきゃいけないと痛く感じているのに、いつだって考えることは "可愛さ" なのである。

可愛いとかブスとか、主観的なことなのだから、相手に規定されたところで1つの物差しでは測り得ない。もっとそんな主観的な感想に振り回されず自由に生きたい。でも、いつだって人々は自分の主観的な感情、感想、を、何も精査することなく私にぶつけてくるんだ。

実のところの私もそうなんだ。精査が足りてないせいで人から誤解を受ける。

わかっていて直せたら、こんなに苦労してない。

 

 

 

 

 

 

顔がブスとセルフマインドコントロールしてしまった以上、性格も普通ではいられない。常にひねくれていて、相手の言葉の裏をかこうとする。一方、周りから不自由なく可愛いともてはやされた人間は自分の中にコンプレックスを抱えながらもうまく消化させ、ひねくれることなく、真っ直ぐ生きていける。実際口ではなんとでも言えるがブスだなんて思ったことないんだろうなぁ。ブスと言われたこともないんだろうなぁ。

世の中って常に格差が広がるように出来ているんだろうか。皮肉だなぁ。

 

私は下の方にいま落ちていっている。

何がしたいのかもわからない。

どう努力しても可愛くならない。

人とのコミュニケーションがとれない。

 

ここからどんどん、差が開いていくのかなぁ。

 

最初に話していたサークルも、当分行きたくない。もはやサークルの男の人たちなんて一生かおもみたくない。でも、これから四月になったら顔を毎週見合わせなきゃいけないのかなぁ。

 

こんなポエムみたいな文章恥ずかしげもなく書いてしまったな。

それでも何か伝えたいんだよなぁ。

 

 

 

 

 

 

おわり。

起伏

 

 

 

最近またお腹が痛くって。

 

 

 

 

先日成人の会というのがあって

中高共にした友達と

たくさん会いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

ほんっとうに、疲れました。

 

みんな体力が無限大なのね。

会いたい人とはあえて、とても嬉しかったけど。みんな元気ね、私は着付けをしただけでとっても疲れました。

 

 

 

 

締め付けが辛くて。

前日からお腹が痛くて、ずっとお腹が痛いままきたんですけど、帯を巻いたら、余計痛くって。なぜかご飯を食べたら逆にお腹痛いのが治ったり。

 

不思議です。

 

足も痛いし。最近は我慢が前よりできなくなってしまって。この後用事なんて作らなくてよかった…

 

 

 

 

朝から母ととっても喧嘩をしたんですけど、

今思うと、本当にしょうもない。

 

 

 

今課題で

漱石の思い出、という本を読んでるんだけど

漱石が死ぬシーンで、その一言一言とか、弱っていく漱石の様子だとか、自分の近しい人がこんな風になったら、と思うと、

親の顔が浮かんで、

読んでて涙が止まらなくなってしまいました。

困った困った。

 

 

 

 

 

それからというものの、

涙が30分くらい引かなかって、

急に、

自分のことを気にしてくれるのは結局親だけしかいないなぁと考えると、

親がいなくなったら本当に1人になってしまう。

その寂しさに耐えられない気がして

もうこの後どうしたらいいのかしら、

と、悲しくて悲しくて仕方なくなりました。

 

 

 

 

 

 

そんなこと言っても、先のことだからどうなるかわからないのにね。

 

 

 

 

 

 

また死ぬまでに自分が生涯一緒にいる人も見つけられない気がして、更に不安になりました。

またそう思うと悲しくて悲しくて仕方なくなります。

 

親不孝も程々にしないとなぁ。

 

 

 

 

 

 

最近は気持ちは起伏があるどころか、

沈む一方で、

自分でもどうしたらいいかわからないものです。

 

 

ろくに本当の気持ちを人に伝えられなくて、結局こんなくだらないことをして自己認承欲求を満たすより他ない寂しくてどうしようもない人間です。

話そうと、核心的なことを話そうとすると、悲しくなって泣きそうになるし、それでいて何か人に優しくそのことを諭されてしまうとまた泣きそうになって、みっともないことはしたくないので、笑ってごまかす、みたいなことをずっとしています。

 

 

 

 

 

 

早く春はこないかなぁ。

暖かい季節になってほしいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おわり。

 

 

 

あけまして。

 

 

 

人生で一番新年あけた感じがなかったな。

何よりおなかが痛いです。

今も痛いです。

クリスマスぐらいからずっとおなかが痛い。

 

え???

いったい何のストレス???????

生きてることのストレスなのかな…それはもう人間失格だな…

 

 

 

バイト中ずっと気持ち悪いし、

おなか痛いし、死ぬかと思った…

 

 

 

 

たぶん運動不足なんでしょうけど、

運動できないほどにお腹がいたいよ…

 

 

 

ブログにつづらないと辛いレベルでずっと痛い。

 

 

生きてることが辛い、頑張れるのか新年明けてからこれって…

これからテスト、レポート地獄に、だまし討ちをされてひきうけることになったあやりたくもないバンド、辛い、辛すぎる…無理…

 

 

 

モジョの幸せはどこですか?

私の鏡になってくれる人はどこですか?

 

そんなのいないだろうけど、

体が元気でないせいで思考も元気でない…

 

 

 

 

どちらかが元気になれるようなことないかな。

とりあえず7日の最遊記のイベントまでは死ねないので頑張りたいです。

 

 

 

最近楽しかったことは年末のアメトーークスペシャルの出川と狩野が面白すぎたことです。あとは、服をセールで買いました。

もっとかわいくなれるように、痩せたいです。

おなかが痛くてよかったことは、食べると気持ち悪くなるので、あんまり午前中は物が食べれないことです。食べてもぜんぶおなかを下すことです。だから瘦せることです、辛すぎます…

 

 

 

 

今年の抱負はなんだろうな。

聞き上手になりたい。

人から好かれたい。

優しいと思われる人になりたい。

自分の浅ましさが露出しないようにしたい。

可愛げがある人になりたい。

 

 

全部難しい。

私よく面白いって言われるんですけど、イコールモテないんですよね、なぜなら女捨ててるから。男に嫌われる要素すべて持ってる。

ガーガー喋る、よく笑う、笑い声がうるさい、そもそもうるさい、変顔をよくする、とりあえずオーバーリアクション。

全部が男の嫌いな女、だ。やめたい、でもやめると私のアイデンティティはなんなのかわからなくなってしまう。私から面白さを取ったらただのクソブス女になってしまうかもしれない。

 

私のアイデンティティの戦いだよ。

私が嫌い。

普通の人間になりたい。普通の女の子になりたい。

SNSでつまらないツイートしたり、これみよがしに彼氏との写真とか動画とか載せてみたい。彼氏の自慢をさりげなくしてみたい。全部女として当たり前にみんなやるようなことなのにできない。

普通がほしい、うらやましい。

 

 

 

なんだろうなあ。

今年は、誰にも愚痴を言いたくない、言わない人間になりたいけど、

このブログに書き込んでいる自体、そういうことだしなあ。

 

 

 

端的に言うと

自分を肯定できる人間になりたいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おわり。

 

 

今年を括る。

 

 

 

年が明けるまでに、

自分の今年を振り返ってみようかしら。

 

 

 

 

 

今年は展開の一年でした。

 

いろいろなものが目まぐるしく変わり、100周回って落ち着いてきた、今現在。

 

去年は人間関係に悩まされ、

自分が世の中では想像以上にブスであるという事実をつきつけられたことが受け入れられなくて、頑張って、

今年になって、それなりにブスなりに折り合いをつけて頑張っていくことを、

なんとかやっていこうとしていきました。

 

 

今年の初めは、

 

唯一のサークル内で仲良くしてくれる数少ない同期とたくさん遊びました。

 

こんなに仲良くしてくれる人がいるのはうれしかったです。今では、男子勢は誰一人仲良くないけど、女の子たちはみんな今でも仲いいです、大好きです。

信じられるものは女友達だけであると今年学びました、やっぱり本質的に男が信じられないと感じた。

 

 

 

そして新たな後輩さんが入ってきました。

勢いが強くて、それでいて個性的なみんな。癖が強いけど、とても魅力的なみんな。私はとても大好きになりました。

最初は距離感がわからなくて四苦八苦したし、たくさん嫌な言葉を浴びせられたけど、それなりにみんなに誠心誠意ぶつかっていったら、通じて。みんな私のことをどう思っているかわからないけど、割と仲良くしてくれたと思います。

 

夏に遊んだり、飲みに行ったり、打ち上げしたり、ダルがらみしたり、いろんな後輩と関わりました。

 

 

その中で推しメンをみつけられて私は幸せです、かわいい後輩たちよ…今のサークルでの生きがいは推しのライブでの姿を写真に収めること、ただそれだけといっても過言ではない…笑

 

 

 

サークルというと、今年になって様々なサークル内の人間ともめました。

去年からだけど。

やっぱりサークルの考え方に合わないと思ったし、

このサークルでしか生きていけないような人間の狭い狭い考え方に合わせる意味がないと感じた。

本当に忘れたいような過去もつくってしまったな。本当に。

あれだけ仲良くしたかったのに、今では殺したいくらい憎い人間だ。お前のしたことを私は忘れない。もはや忘れたくない。もう二度とお前のことなど信じない、地獄へ落ちろ。そういう憎悪の気持ちが膨らむけど、それも遠い昔の話だな。

 

とりあえず、今まではサークルに必死にすがって、サークルの人間に馬鹿にされたくなくて、みんなが行かないような行事にもちゃんと顔を出して、真面目に仕事をして、頼まれたらなんでもやって。必死だった。

もう疲れた。なんのためにそんなことをしてきたんだろう。

仲間外れにされることがそんなに怖いのだろうか、このサークルでしか生きれない人間たちに。そう思うと、ふと体の力が抜けて、顔を出すのをぱったりやめて現在に至る。

 

私の存在なんかサークル内で消しゴムのカス以下だと思っていたけど、来ないことを心配してくれる人もいて、そういう人もいることは忘れちゃいけないなとおもった。

 

 

そのサークルで知り合った先輩のバンド、プールと銃口のおかげもあって、たくさんの知らない音楽に触れられた一年でもあったな。

銃口のギタボとはいい関係だ!先輩だけどダチだな!いつもいい音楽ありがとう、!

自分の好きな音楽を探すのが楽しい。と感じました。

そこで知り合った人達との交友関係も広がり、とてもそれは嬉しかったです。銃口のベースとも仲良しになれた!

来年もたくさん新しい音楽に触れたいと思います。

 

 

サークル以外で、今年は人間関係がさらにひらけた一年だった。

学科の友達!学科の友達との仲がとても深まった一年でした。

最初の一年、趣味も違うし、学校も違う人間と仲良くなれる気がしなくて、完全に殻に閉じこもっていたけど、

みんなすごくいい子で、それなりに色々経験して、

経験したことでそれぞれ成長してて。

お互い、認め合えるみんなになりました。

休みがあるとみんなで遊びに行って、くだらない話をするのが好きです。みんな大好きです。

愛くるしいみんなです。

趣味や目指すところは違っても、いい子たちばかりです。

 

 

そしてバイト!

辛い、辛すぎるけど。

 

女ばかり、バランス悪いけど、それなりに、女子トークが出来るくらい仲良くなれる人もいて、よかったなぁ。

いい先輩、後輩さんばかりです。

辞めちゃう人多いけど、頑張ります…

目の前のはなまるうどんの金土曜シフトのお兄さん達と仲良くなりました、休憩中の癒しだ…

斎藤工錦織圭を足した雰囲気のお兄さん、ほんま笑顔が素敵過ぎ…

今日、私の前のうどん買ってるじいさんがクソクレーマーで、お兄さん対応してたんやけど、私が隣で大丈夫?とか思いながらちょっと笑ってたら、笑顔で返してくれて、あぁ、ほんま休憩中の癒し…尊い……

 

ということで、辞めません。

まぁ、はなまるうどんに転職はしたいね。

 

 

 

 

 

私という人間を振り返ります。

 

やっと今年になって、自分は人間関係を築くのに1年はかかる人間だと判明した。

誰とでも喋ると見せかけて、完全にシャットダウンしてる、というこの事実。これは治ることなく、うまく折り合いをつけてやってくしかないなと悟りました。

 

 

そして、私という人間が、顔だけでなく、心がブスであるという事実。

人の話を聞かない、悪口ばかり言うというクソさ、こういう自分を何度と心の中で殺したけど殺しきれない、浅ましい部分。私の浅ましさ。

自分のクソみたいなプライドの高さから人への浅ましい、妬み嫉み、自分のことを愛して欲しいという強い渇望そして寂しさとの戦い。

全てが私の根本的な人間性であると、いう悲しさ。

私という人間がもっと魅力的でありたいと強く思った一年でした。

変わりたい、と強く思った一年でした。

自分のダメさで苦しめられ、一時期人が嫌いになった、人ごみの中にいると苦しくて心臓がばくばくした。

 

私なりに変わらないとな、そう思わされる一年でした、そう思えることが、変わったな、と思いました。

 

どう変われればいいのか、いまだにわからないし、自己肯定が出来なくて、本当に苦しいけど、それは来年、頑張ります。

 

 

 

 

 

 

 

1年、何も変わってない、のかなぁ。

これからまた新らしく1年が始まるのかぁ、受け入れられない、まだ、やりたいことがある。悲しい。

 

あと20分かぁ。

 

頑張って、生きてかなきゃなぁ。

 

また、何かが、変わることができる一年になるように。

 

 

それに、私の味方は私だけ。なのかも。

 

大事な私を曲げず、生きて生きたいなぁという、今年の反省でした。

 

 

 

 

今年はお疲れ様。

でした。

 

 

 

 

おわり。